札幌高等裁判所 昭和44年(ラ)38号 決定 1970年5月11日
抗告人(原告) 林長太郎
右訴訟代理人弁護士 大崎孝之栄
相手方(被告) 大成火災海上保険株式会社
右代表者代表取締役 野田朝夫
右訴訟代理人弁護士 赤坂軍治
主文
原決定を取消す。
相手方の移送申立を却下する。
理由
抗告人の抗告の趣旨および理由は別紙のとおりである。
そこで判断するのに、抗告人が提起した本件訴(釧路地方裁判所帯広支部昭和四三年(ワ)第一一〇号事件)は、抗告人が保険業者たる相手方との間に、被保険者抗告人、保険金額一五〇万円、保険期間昭和四〇年一〇月二〇日から昭和四一年一〇月二〇日までとして締結した傷害保険契約にもとづき、昭和四〇年一一月一九日抗告人が被った左手関節上部切断の傷害により、保険事故が発生したとして、保険者たる相手方に対し、契約所定の計算による保険金一〇二万三、〇〇〇円の支払を求めるというものであるところ、相手方提出の「傷害保険申込書」、「傷害保険証券」、「傷害保険普通保険約款」、抗告人提出の「陳述書」二通および当事者双方の主張の全趣旨によると、前記保険契約は抗告人において昭和四〇年一〇月二〇日相手方の用意した「傷害保険申込書」用紙に所要事項を記入してこれを相手方に交付し、相手方が右申込を承諾して成立したものであること、右「申込書」には「貴会社の傷害保険普通保険約款………を承認して………傷害保険契約を申込みます」との記載があり、相手方の傷害保険普通保険約款第二六条には「保険契約ニ関スル訴訟ニ付テハ当会社ノ本店所在地ヲ管轄スル裁判所ヲ以テ合意ニ依ル管轄裁判所トス」との規定(以下管轄約款という)があることが認められ、右事実によると、抗告人と相手方は前記保険契約の締結にあたり右管轄約款の如く管轄の合意をしたものというべきである。
原裁判所は、右管轄約款は専属的合意管轄を規定したものであるとする相手方の主張を容れて、原裁判所には本件につき管轄権なしとし、民事訴訟法三〇条一項により、本件を相手方の本店所在地を管轄する東京地方裁判所へ移送する旨の決定をしたものであるが、右管轄約款が、いわゆる専属的合意管轄として、他の法定管轄を排除する趣旨であるかどうかは前記約款の文言のみでは明らかでないから、解釈によって決するほかない。
およそ普通保険約款は保険会社たる相手方が多数の者と同種の保険契約を締結するにつき一々契約内容を協議決定することの煩雑な手数を省くため、契約内容を定型化して画一的な処理を行なおうとするものであって、右約款内容は多岐にわたり詳細、周到を極め、その条項は数多に及ぶのであるが、商慣習上、保険契約は保険契約者の約款内容に対する具体的な知、不知を問わず、特にこれによらない旨の意思表示その他特別の事情のない限り、約款に則って締結されるものと解すべきであり、右約款の制度的、法規的性質からして、その約款の解釈に当っては個々の保険契約者の具体的意思やこれを制定した保険会社の意図は決定的な資料とすべきでなく、その適用が予定された保険契約者一般の合理的な理解可能性を標準とすべきである。
これを本件管轄約款についてみるに、全国各地に及ぶことが予定される多数の保険契約者との間に、保険契約に関して生じる紛争も多種多様なことが予想されるところ、これら紛争の解決を訴訟に求めるについて、その裁判機関を常に相手方の本店所在地を管轄する裁判所に限るということは、相手方にとっては便益このうえもないことで、この相手方の立場からすると、右管轄約款をもって専属的管轄を定める意図であったろうことは推測され得なくもないが、他面、一般の保険契約者にとっては、それは甚だ不便なことであり、場合によっては(殊に逮隔地居住者の如き)、紛争解決を始めから断念せざるを得ないようなことにもなるのであって、右の如き管轄の限定は到底一般の理解に達する所以ではない。したがって、疑わしい場合はむしろ一般契約者の利益に解釈すべく、本件管轄約款は、相手方の本店所在地の裁判所が法定管轄権を有しない場合にも、これに管轄権を認めた、いわゆる付加的合意管轄の定めと解するのが相当である。もちろん、このように解すると、本件の如く保険契約に関して後日提起された具体的訴訟の内容如何によっては、実際上右管轄の合意は無意味になることもあるが、これは不特定多数人を対象とし複雑多岐な内容をもつ契約を定型的かつ簡易に行おうとする約款の機能からみてやむえないこととというべきである。
以上説示のとおり、前記管轄約款は専属的合意管轄ではなく、付加的合意管轄を定めたものと解すべきであるから、これを専属的管轄の合意をしたものとする相手方の主張は失当である。しかして、前記資料によると、本件保険契約において、これによる保険金支払地は「帯広」と定められていることが認められるから、原裁判所は本件本件保険金請求訴訟につき民事訴訟法五条のいわゆる義務履行地の裁判籍により管轄権を有するものというべきである。
よって、これと異なる見解に立って原裁判所がした移送決定を取消し、民事訴訟法三〇条にもとづく相手方の移送申立を却下することとして、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 武藤英一 裁判官黒川正昭、裁判官佐藤安弘は転任につき署名、押印することができない。裁判長裁判官 武藤英一)
<以下省略>